1983年の年だったとの記憶があるのですが、1972年のストックホルム国際連合会議以来、10年毎に国際連合で討議されている、『国際地球環境年』の年。劇場映画『ドラえもん』のこの年のテーマが“地球環境を考える”であり、“緑の地球をどうしたら守って行けるか”にあった。

“緑の顔”をしたドラえもんの缶バッヂ そして、映画企画のテーマ創りに於いても、その中心にいた小学館コロコロコミック編集部では“地球環境年”にちなんだ、広報計画を練っており、企画内容も環境問題に沿ったものを柱に構築していた。そして、この企画内容に併せて広報活動の検討会がひらかれた時、翌年の春の映画劇場に来場の子供達全員に『“緑の顔”をしたドラえもんの缶バッヂ』を配るという映画プロモーション企画を発表した。

藤本弘先生 そこで、我々関係社五社(小学館、テレビ朝日、旭通信社、藤子プロダクション、シンエイ動画)が召集され、映画上映の為の宣伝会議が実施された。会議の座長は小学館宣伝部の赤座部長だった。その中で、当時“ドラえもん番組関係社会議”に参加し始めて間もない若造の私めが発言してしまった。会議の中心には、大ヒット番組『ドラえもん』の原作者であり、我々の間では『天皇陛下』の様に大切な扱いを受け、尊敬されていた藤本弘先生がいらっしゃった。その先生に向かって、

『先生!。今回、折角緑の顔をしたドラえもんの缶バッヂを配るんですから、朝日新聞(テレビ朝日の系列新聞)で一頁広告を打ちましょう!。“ぼくたち地球の緑を守ります!”というヘッドコピーで、ドラえもん全体がブルーから若葉の緑色に変身して、ドーンと緑色のドラえもんが登場します!』

と、、、、。あれっ???。会議室は一瞬『シーン!』と張り詰めた様な空気に包まれ、誰も発言しなかった。考えてみれば当然で、私が発言したお相手は時の天皇陛下。大ヒット中の番組の原作者であり、“大先生”だったのだ。そんなお方が何よりも大切になさっていらっしゃる“主役キャラクターの色を変える”などと“とんでもない事”を言ってしまったのです。
藤本先生はパイプを取り出し、おもむろにマッチをシュッと掏り『フーッ』と煙を吐き出しながら、、、
(この間の永かった事、ほんの十数秒だったかもしれないのですが、恐ろしく永い時間だった。あれっ!自分はとんでもない人に発言してしまったのか、と、気づいたのです、が、)で、先生の一言

『荻野さん、それ面白いです。やってみましょう!』

と言って下さったのです。

『ハッ、ハイッ!ありがとうございます』。

これだけ言うのが精一杯。 途端に会議参加者のあちこちから、ホッとした様な会話が聞こえ出した。

 その後、会社に戻って新聞部の中嶋部長に相談。朝日新聞に乗り込んだ。これからが、むしろ大変な作業だ。この時の一頁広告、しかもカラー広告である。夕刊だとしても二千数百万円はかかってしまう。広告代理店だから扱いが生まれる事はありがたい事だ。しかしその額が半端ではない。協賛広告といい、賛同各社の協賛広告、一社二百数十万として、10社以上集めなくてはならない。が、新聞部の驚異的な営業活動もあり、数週間後“緑のドラえもんカラー全頁広告”は新聞に載った。

 この結果になによりも喜んだのは制作会社シンエイ動画の楠部専務だった。楠部専務はかつて、『ドラえもん』をNTV・日本テレビでアニメーション放送を実施したが半年で放送終了という苦い経験があった。その後独りで頑張ってテレビ朝日系列での放送に漕ぎ着け、今日のキラーコンテンツにまで育て上げた人物であると言えよう。

 彼はドラえもんの広告頁を外側に向け、拡げたまま新聞を読んでいる客を装いJR山手線を何周も回ったという。読んでもいない新聞を広げたままで次から次に乗り込んでくる客の中の子供達が口々に『アレッ、ドラえもんが緑色してる!。なんで?』と大きな声を上げるのを聞き、新聞紙の陰で独りほくそ笑んでいたという。何とも嬉しい話しであり、尊敬に値する。彼のこういった地道な努力があってこその今日の『ドラえもん』の繁栄があるだ。と、私は確信している。