1980年、旭通信社(現・ADK)では、テレビアニメーションシリーズ『ドラえもん』のヒットに湧きかえっていた。アニメーション番組でテレビ局の扱い枠を買い切る事で次々と売り上げを伸ばしていた時期だったからである。

藤子不二雄 正に「藤子不二雄先生様、様」であったのだ。


左:藤本弘(藤子・F・不二雄)
右:安孫子素雄(藤子不二雄A)

 その頃、藤本弘、安孫子素雄両先生のマネージャーから次の「藤子作品」のアニメーション化に向けて提案があった。これは、「藤子不二雄」を名乗るお二人の先生が描かれた、夫々の作品を交互にテレビアニメーション化したいとの「藤子プロ」としての狙いがあったからだ。

忍者ハットリくん 藤子プロ側からの提示は『忍者ハットリくん』、安孫子素雄先生の作品であった。当然、プロジェクトとして、小学館、テレビ朝日、旭通信社(現ADK)、シンエイ動画、藤子プロといった「番組管理五社会」(当時プロジェクトをそう呼んでいた)が召集され、次なる「藤子作品」も成功させよう、と番組立ち上げの会議が開かれた。

 番組企画書には『忍者ハットリくん』に登場するキャラクターが並んでいた。その中にキューピットの様な可愛い顔をしたキャラクターがあり、これはテレビ朝日のプロデューサーからの要請で新たなキャラクターの設定が成され「ハットリくんの弟」という設定で「シンゾウ」が創られたのである。
 この狙いは原作に登場する「ハットリ君」は元々「喜怒哀楽」に表情を変えない「能面」の様なキャラクターであったため、アニメーション番組としての展開が難しいものになってしまうのでは、との懸念から弟分を創り、番組全体の盛り上がりを図ったものであった。

 しかしである。これだけでは足りないものがある。我々広告代理店としては、番組放送に付随して展開したい「商品化計画」(マーチャンダイジング)が番組化成功の大きな要素となっており、欠かせない事であったのである。

 関係者一同が集まった『忍者ハットリくんアニメーション化会議』の席である。未だ若造の私めは、前回の『ドラえもん映画宣伝会議』での発言と同じ事を又してもやってしまったのである。

『先生!。この「忍者ハットリくん」の原作には無いのですが、犬とか猫とか猿とか、動物のキャラクターは出てきませんでしょうか?』。

と、言ってしまったのだ。さあ、大変!。又しても、あの旭通信社の荻野だ、、、。
会議場は、前回同様、一瞬にして『シーン!』となってしまった。天皇陛下に物を申してしまったのだ。

『犬ねえ、猫ねえ、、、、猿ですか!?』

と、呟きながら、安孫子先生は、おもむろにポケットから煙草を取り出してマッチを掏った。

『シュパッ!』

この音だけが会議場に響いた。(しまった。又、やっちまったか。今度こそクビかな?この時の時間の永かった事。ほんの十数秒だったのでしょうが)と、ヒヤヒヤ油汗を流していた私に向かって『フーッ!』と煙をひと吹きして、安孫子先生が仰った一言。

『荻野さん!、一週間、待って下さい!』

と、ご了解頂けたに等しい言葉が発せられたのである。
(ヤッターッ!と心で叫び)

『ハイッ!、勿論でございます。一週間でも十日でもお待ち致します。』

と言ったのが精一杯だった。
冷や汗、脂汗が後から又も出てきた。途端、

『いやー、私もですね。犬とか猫とか、動物が出てくるといいな、、、と思っておりましてね』

等とあちこちから声が上がって来たのだった。(今頃、になってよく仰いますよ)と、思いながら、会議場を後にした思い出がある。

 そして、ピッタリ一週間後、安孫子先生の描かれた「獅子丸」と「影千代」が夫々の額に☆マークと月を付けて凛々しく登場となった。

忍者ハットリくんキャラクターズ

一番左:獅子丸 一番右:影千代 出典 www.animax.co.jp

 後日談で「獅子丸」は当時先生が飼っていらっしゃったチャウチャウ犬がモデルだとか。このチャウチャウ犬の大好物が「ちくわ」で、それで、ちくわを銜えて印を結び『ほにょにょ!』のポーズが「獅子丸」の得意のポーズが生まれたのである。

 そして、旭通信社では、はんぺんや蒲鉾を生産する企業を、何とアニメーション番組のクライアントに取り込むという、全く前代未聞の分野のクライアント開発に繋げる事が出来たのである。

 一方の「影千代」のモデルは、当時赤塚不二夫先生の制作スタジオに飼われていた、無芸なのだが『あれをやれッ!』と言われると仰向けにひっくり返り「バンザイ」をする「菊千代」という名前の猫だったとか。

 この時、任天堂のスーパーファミコンのソフト販売で実力を発揮していたハドソンが初めてアニメーション番組の提供となり、いきなり146万本というハドソン販売記録で今も破られていない販売記録を達成したという。

 結局、広告代理店でのアニメーション番組企画制作プロデューサーの、これが本当に大切で必要な「お仕事」なのだ。と言えるでしょう。