今回は、「おやこ刑事」「バツ&テリー」「剣客商売」で様々なジャンルで活躍されている大島やすいち先生です。奥様(川島れいこ先生)もご同席いただけました。

 大島やすいち     http://www.y-oshima.jp/

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 荻野

本日はお忙しい中、お時間を頂誠にありがとうございます。また、奥様(川島れいこ先生)まで同席いただきましてありがとうございます。

様々なプロジェクトを通してお世話になっていますが、先生とのお仕事は旭通信社時代のTVアニメーション番組化が最初でした。原作が講談社の月刊少年マガジン掲載の「ステップジュン」のアニメーションで、TV朝日系列でした。プロデュースを担当させて頂きましたが、「ステップジュン」のタイトルでは他の番組名と混同してタイトル登録が出来ない為“はーい”を追加して放送したんです。よき時代と言うべきでしょうか。

大変でしたが楽しい時代でもありました。ところで、この漫画のトリビュート「その後のステップジュン」漫画制作構想はありませんか?。周辺の電気製品を簡単にロボットに変えてしまう女の子の設定は、“今こそある”のではありませか?。もしかして、何かお考えがありそうですね。機会がありましたら、改めてお聞かせ下さい。

    「はーいステップジュン」

    step05
ところで、最近は時代劇ものを書かれていますよね。

大島先生

池波正太郎先生の時代小説の漫画化で単行本化させていただいています。池波先生のネームバリューで随分と話題にもなりましたが、全て池波先生のおかげですよ。(笑い)

          「剣客商売」

      kenkyaku04   kenkyaku07

荻野

そんなことだけではないと思いますが、何がヒットの要因だったのでしょうかね?

大島先生

時代小説としてベストセラーになっていましたから、私のキャラクターイメージと池波先生の小説イメージがぴったりとうまく重なったと言うことではないですかね。イメージのギャップがなかったと言うことなのかも知れませんね。既に20巻を超えていますからすごいことではありますね。

荻野

 大島先生は、時代劇ものは以前からお描きになられていましたよね。

大島先生

そうですね、「英雄三国志」「虎狼」などを描いていたのもあって、「剣客商売」のお話を頂いたんではないですかね。

荻野

イメージがぴったりと出版社のほうで判断されたんでしょうね。出身は、京都とお伺いしていましたが幼少の頃から漫画を描かれていたのですか?

大島先生

小学生の頃から描いていましたね。ま、漫画を読む、描くことが好きだったんでしょうね。きっかけは、お爺さんから図鑑絵本をもらったのがきっかけなんですよ。ものめずらしさもあってその図鑑に載っている動物、人物等を一生懸命マネをしながら描いていました。それが興味をもって描き始めたきっかけですね。

荻野

と言うことはお爺様が今の仕事を結びつけてくれた恩人ですね。最初のデビューのきっかけはなんだったんですか?

大島先生

15歳のときに投稿した作品が賞をいただきましてね、それがさらに拍車をかけて17歳で小学館:少年サンデー「青春の土」でデビューしまして運良くそのときも「新人漫画賞入選」したことで本格的な漫画家としてのスタートになりました。

荻野

大島先生といえば、「おやこ刑事」に代表される刑事ものと「バツ&テリー」で代表されるスポーツものが記憶に残っているのですが・・・。

     「おやこ刑事」                「バツ&テリー」

    oyako05  batsu01

大島先生

TVアニメ化、映画化になったのが大きいのでしょうね。その後は時代劇ものが多くなりましたけど、描きこみが細かいので時代物は大変ですよ。(笑い)今は、娘も含め若い人とたちはデジタルで漫画を描きますが、私はアナログですからね、機械の技術に頼った方が少し、楽なんでしょうが私にはかえって時間がかかってしまいます。(笑い)

荻野

いえいえ、手描きでしか表現できないラインは昔から漫画を愛する人達には違って見えますからね、そのよき時代を是非、残し続けてください。

荻野

娘さんの話も出ましたが、お二人のお子様も漫画家でいらっしゃってご活躍されていますよね。

大島先生

次女は子育てに忙しいので少し、休んでいますが、長女(大島永遠)はなんだかんだ頑張っているようです。

荻野

お子様は子供の頃から漫画家志望だったんですか?

大島先生

いいえ、夫婦共に漫画家にはさせたくなかったんですが夫婦で漫画の仕事をしていましたから常に自然の環境で漫画に触れる機会が他の人よりも多くあったんでしょう。絵を描く道具も周りにありましたからね・・・自然に自分達で描く様になっていきましたね。一度も強要したことはありませんね。
あるとき、子供たちが13歳、11歳のときに今の「コミケ」に自作の本を持ち込んで東北まで二人で行って漫画を売っていたときは本当に驚きました。長女は16歳でデビューをしまして、講談社さんから17歳のときにスカウトされて本格的に描いています。今は、双葉社さんのアクションで連載中ですね。

荻野

環境というのはよくも悪くも大きく影響しますからね。

     IMG00340

荻野

デジタル化の流れはやはり大きいですか?

大島先生

そうですね、ボタン一つで背景や色を選択できるのですから否応無しにその流れに変わってきていますよね。若い人たちはパソコンに抵抗がありませんからね。

荻野

せっかく、奥様もいらしているので奥様との馴れ初めを聞かせていただいてもいいですか?

大島先生

きっかけは高校時代ですかね。私は京都の平安高校でハンドボールをやっていました。その当時から平安高校は野球が強いので有名でした。うちの奥さんは野球ファンだったんです。そのときから応援の手紙を学校で交換していたので名前は知っていたのです。その頃、本人も漫画家を志していて20才で漫画家デビューしていました。そのあたりが付き合いと、結婚のきっかけですかね。

荻野

中々聞けないエピソードをありがとうございます。先生のところにも若いスタッフの方々もいると思うのですが仕事のやり方が違ってきていると言うことですか?

大島先生

そうですね、昔は食べるために「漫画家」を志して必死で描いてきましたが今は、それなりのステータスもあり、親御様が親身になって環境を整えてくれるので私たちの時代とは大きく違いますよ。もちろん、仕事の仕方も事務所で一緒に仕事をしなくても自宅で仕事ができてしまう時代ですから便利
になりましたよ。
『今でも必要があれば徹夜をしてでも仕事をしていて、大変なことも多いですが今の若い人たちにそれを求めても無理ですからね、仕事の仕組みが変わっているのですから』

荻野

そうでしょうね。デジタル化の流れは大きいですね。もちろんいい意味でですが。
最近、デジタル配信の方も積極的にされているようですが。

大島先生

そうですね「キンドル」での配信は積極的に行っています。

荻野

今後の活動の方向性についてお聞かせください。

大島先生

やりたいことは沢山在るんですよ。漫画はハングリー精神がないと描けませんし、漫画家だけでもできない。出版社、編集者の若い考え方との協調があって成立するものですからね。「思い」と「人」と「考え方」がうまくマッチングしたときに溜め込んでいるアイデアでいい作品を描きあげたいです
ね。

荻野

含蓄のあるお話を色々とありがとうございました。新作も期待しています。また、過去の作品の復刻アニメ化や様々な展開のさせ方を私の方でも考えさせてください。

      本日はお忙しいところ本当にありがとうございました。