お待たせしました。「荻野宏の突撃インタビュー」第三弾は勝間田具治です。

今回は、アニメーション演出家・監督「勝間田具治監督」にご登場いただきました。

勝間田具治 勝間田具治(かつまた ともはる)
静岡県下田市出身のアニメーション演出家・監督である。
日本大学芸術学部卒業後、映画製作会社の東映に入社。京都撮影所にて、工藤栄一、マキノ雅弘、加藤泰、田坂具隆監督らの助手を務めた。これら監督につき、『次郎長血笑記・富士見峠の対決(1960年公開)』『次郎長血笑記・殴り込み荒神山(1960年公開)』 『ちいさこべ(1962年公開)』などの制作に関わった。
その後東映動画(現・東映アニメーション)に移籍し、アニメーションの演出家に転向。『狼少年ケン』『サイボーグ009(旧)』などの演出を務めた後、『デビルマン』『マジンガーZ』にてその才能が開花。以降、「東映アクション&ヒーローアニメ」のエース演出家として大活躍した。現在も東映アニメーションの最高齢の演出家として現役である。

勝間田具治『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より 2014/11/08

荻野

相変わらず精力的にお仕事をされているようですが、近況を教えて頂けますか?
松本零士先生からも宜しくとお伝えくださいといわれております。

荻野宏 with 勝間田具治
勝間田監督

そうですか、松本先生とは同年代で誕生日も2週間ほどしか違わないので、松本先生からは彼は「同志」だといわれているのですがね・・・(笑い)
お互いが近くに住んでいるのですが、松本先生がお忙しいのであまり会う機会はなくなってきていますが・・・。

荻野

信頼関係が出来上がっていますから、だから松本先生にも言いたいことが言えるのですね。

勝間田監督

そんなことは無いですが、「同志」と本人が言っているので少しは意見を聞いてくれるのかもしれませんね。

荻野

プロ中のプロに今更こんな事をお聞きして好いのでしょうか。監督の作品へのこだわりはどんなところにありますか?

勝間田監督
勝間田具治

アニメはやはり作品ごとに内容、見せ方が皆違うわけで、漫画原作は面白いのに映画やアニメにしたときにその面白さが伝わらないケースもあり、今でも毎回難しいですね。
最近の作品では、「暴れん坊力士!!のたり松太郎」(原作:ちばてつや・のらり松太郎)では、やはり苦労しましたよ。漫画原作では大変面白いのに、アニメ化するために内容に手を入れたり、変更を余儀なくされる場面では面白くなくなってしまうケースもある。そこのギャップをどのように埋めていくかが毎回の苦労点ですかね。
おかげさまで、数多くの作品を手がけさせてもらっている分、ヒントとなる要素は自然と身についているのかもしれませんが、いつも緊張してますよ。
今回の作品について「ちば先生」におこられなければ良いんですがね・・・。

荻野

それは、ちば先生の原作が「やんちゃ」なシーンが多いので苦労されたんではないですか?

勝間田監督

「やんちゃ」なシーンが多いから「ちば先生」の作品は面白いんですよ。
でもアニメにしたときに現代の作品として表現できないシーンもあるからね。
そこの微妙な温度差観をどう演出していくかがポイントになりますね。
それを技量といえばそうかもしれませんが、苦労のしどころというやつですかね。だから、創っていて楽しいんですよ。

「暴れん坊力士!!のたり松太郎」アニメアフレコ収録終了記念撮影 提供:勝間田具治

「暴れん坊力士!!のたり松太郎」アニメアフレコ収録終了記念撮影 提供:勝間田具治

荻野

勝間田監督は、他にも様々な分野のお仕事をされていますよね。
癌をテーマにした作品とか・・・。

勝間田監督

ええ、いっぱいありますね。
がんセンターのものが9本くらいありますし、「棟梁」の映画も作ってますよ。
実写版の映画も作れる便利な監督なのかな?(笑い)

荻野

監督とは私が旭通信社の現役プロデューサーのころは、現場ではあまりお会いできませんでしたよね。
そして、“宇宙戦艦ヤマト”の作品もいくつか手掛けていらっしゃいますよね?

勝間田監督

そうですね、めちゃくちゃに忙しかったころですからね。
だから、荻野さんとは制作現場では会えなくても、意外なところでお会いすることが多かったですが、例えばゴルフコンペ会場や出版社のパーティ会場とか、なんだかんだと言っても、飲み会の場面でしたかね・・・・(笑い)
宇宙戦艦ヤマトはTVアニメでは撮っていませんが劇場版では「さらば宇宙戦艦ヤマト」、「ヤマトよ永遠に」「宇宙戦艦ヤマト完結編」の3本にかかわってますね。
それこそ、寝る暇もないくらいにハードでしたから、みんな立って寝ていた時代ですからね(笑い)
特に、作品の映像チャック(ラッシュ)のときなどは閑散としている中で無音声の映像を見るわけですから、一番眠たくなるときでしたね。(笑い)

荻野

そうですよね、仕事場であまりご一緒になる機会はあまり無かったのですが、独立後、オッヂピクチャーズ時代になってから「中国」各地での講演出張では現地で何回か偶然、一緒になりましたよね。日本で話す機会が少なかった分、中国で仕事の話に華が咲きましたね。(笑い)これも何か縁ですよね。
私が東映さんと一緒に仕事をさせて頂いた最初の作品は「魔法少女ララベル」でした。ですから東映さんは私のお師匠さまなんですよ。
私がアニメに関わらせて頂いて一番勉強をさせて頂いたのは東映さんなんです。

勝間田監督

たまたまですが、そのときは私はからんでいませんでしたね。
荻野さんともゆっくり話をする時間もなかったでが、最近の方がゆっくりとお会いする機会が増えたので、面白い作品をやりたいですね。

荻野

そうですよ、新しい作品でご一緒したいので改めてお願いに上がります。
この後は、お酒でも入れてもっとざっくばらんなお話を致しましょう。
今日は、このあたりで終了にいたしましょう。本日は、貴重なお話ありがとうございました。